転勤族の宿命
転勤は、一般的に4月1日付の異動が多いと思いますが、わが家には、そのタイミングが7月1日に訪れます。そして、その内示は、7月1日まで残り2週間を残した金曜日に出されることが多いです。
今年の運命の日は、6月16日(金)でした。
結果から申しあげますと、今回は夫の異動はありませんでした。
ラッキーでした。本当にホッとしました。
と言いますのも、その1週間程前に、夫から驚きの話を聞いたからでした。
去年の転勤が決まっていた…
平日のお昼時に珍しく家に帰ってきた夫。お昼ごはんを食べながら、いつになく興奮気味に話しはじめます。ただならぬ様子に思わず顔を上げると、
「去年の今頃、うちの転勤が9割方決まっていたと、
それも釧路だと、
それが土壇場でひっくり返ったと、
過去の話として下りてきた。」
絶句です。すぐに言葉が紡げませんでした。
夫と顔を見合わせて、苦笑いともつかない表情で向き合うという稀な経験をひさびさにしました(苦笑)。
その後、食事の味がしなくなったのは言うまでもありません。急に動悸がしてきて、背中を冷たいものがサーっと吹き下りるような感覚に襲われました。手も小刻みに震えていました。
今年は転勤なくてよかったねーとホッとしていた去年の今頃、裏で実はそんなことが起こっていたとは。それを今ごろ知らされるとは。
でも実は去年、異動があるかもしれないと覚悟もしていて、引っ越しで持ち歩くにはちょっと苦労する荷物を選り分けて実家に運んだりしていたのでした。
今回の話の前に、釧路から札幌近郊の事務所に異動になり約3年が経過した頃、実は引っ越しを伴わない異動が1度ありました。今の部署に移った当初、夫から2年で動く可能性の高い部署で、下手すると1年で動くこともあると聞かされていて、その1年が経過したのが去年の今頃。なので、もしかしたら異動があるかもしれないと考えて動いていたのです。
でも、異動を回避できて本当にうれしかったしホッとしたのでした。去年のその記憶が鮮明に残っているだけに、ひょっとしたら今ごろ釧路にいたかもしれなかった…という話に、今さら絶句したのでした。
そもそも引っ越しは苦手
念のため付け加えますが、釧路がイヤなのではありません。釧路には家を建てました。わたしたちなりにこだわって建てた家で、多分一生住むのだろうと思っていました。家を建てて丸2年経たぬうちに、突然降って湧いたように転勤族になってしまったことが青天の霹靂で、そもそも引っ越しは苦手です。
内示が出ると、たった2週間ですべての荷造りや手続きをしなければならないこと、引っ越し先で、つい先日詰めたばかりの荷物を出さないと生活が立ち行かないこと、役所や銀行などへの行脚もしなければならないという現実がイヤなのです。精神的にも体力的にも相当の負担を強いられます。腰もひざも痛くなりますし、荷造り荷解きで、腕はおろか手の指まで筋肉痛になります。
そして、札幌に日帰りできないところへ引っ越すことがかなしいのです。
札幌は、私にとっては生まれ育った街。実家の両親も、友だちも札幌にいます。
片道4~5時間かかると、日帰りは現実的ではありません。何かの用事を足すために行くわけで、往復10時間かかるとなれば、少なくとも1泊。実際は、2泊はないと1日がかりの用事を足すのは無理筋です。となると、思い立ってちょっと行ってくる、ということはなかなか難しくなります。
頻繁に行けないからこそ、ちょっとの用事にプラスして別の用事も済ませたいなと欲が出ます。そうすると、3泊4泊…とだんだん大ごとになってしまう。そのことが重しになるのです。
期間限定の『その土地』を楽しみたい
釧路から札幌近郊に転勤してきて約1年でコロナ禍に突入してしまい、楽しみにしていたイベントなどが軒並み中止や縮小を余儀なくされました。もっと頻繁に会いたい、会えるはずと思っていた友だち、実家の両親や妹家族とも、なかなか会えなくなってしまいました。楽しみにしていたライブにも、美味しいモノの食べ歩きなどにも行けなくなってしまいました。
いつどこに引っ越すことになるかわからない転勤族としては、札幌近郊にいられる期間限定のお楽しみをコロナ禍に持っていかれた感覚でした。
今年の異動を回避できたことで、ようやく日常が戻ってきた札幌を楽しむスタートに立てた気がしています。
内示予定日までの1週間
夫に、去年の異動の話を聞かされてからというもの、
過去の話のハズだったんだけど、今年現実になったわ。
という最悪のシナリオが頭から離れず、ひたすら家中の大掃除をしていました。
実際、2年で動く可能性が高い部署で2年が経過しようとしている夫。ない話ではないどころか、むしろあるあるでさえあると思っていました。
実際に引っ越しとなれば2週間で荷造りを完了させねばならず、並行して掃除もしていくことは、わたしには負担が大き過ぎるのです。
もし万が一のときのために今できることをやっておこうと、ひたすら大掃除。大物の洗濯や片づけなども。おかげさまで家中ピカピカになりました(笑)。
もし引っ越すことになれば、髪を切りに行く余裕もなくなります。引っ越し先でも、諸々片づけた後にようやく美容室がどこにあるのかを調べることになり、しばらくは髪を切りに行くどころではなくなってしまうと前回経験したので、今回は内示予定日の午後に美容室の予約を入れておきました。お昼休みごろに内示が出ることが多く、13時過ぎまでに夫からのLINEがなければ大丈夫だろうと思ったからです。
そろそろ美容室に行きたいタイミングとも重なっていたのですが、夫からの異動LINEがなかったこともあり、髪を切っていただいてとてもとてもスッキリしました。夫が帰ってくるまでは油断は禁物とも思っていましたが、帰宅した夫からの「今回は(異動は)ない」との言葉に心底ホッとしました。1週間張りつめていたことに気づかされた瞬間でもありました。
1年後の異動を覚悟する
とはいえ、今の部署に移って2年が経過しました。たまたま今回は回避できてラッキーだっただけで、むしろ来年に向けてカウントダウンが始まったなという感覚です。異動の可能性の高い2年を過ぎたわけですから、もういつ異動になってもおかしくない状況になりました。
というわけで、今度こそ計画的にいろいろなものやことを整理して、具体的に進めていかなければならないなと思っています。
転勤というシステムについて
今さらですが、転勤って、なんて不条理なシステムなんだろうと思っています。
実家の父は、転勤のある会社に勤めてはいなかったので、わたし自身は、実家が引っ越しをした1回、それも30代になって初めて引っ越しというものを経験しました。
30年以上同じ家に住んでいると、それはそれは荷物が多くなりました。引っ越しを機にかなりの荷物を処分して、そういう意味で引っ越しにはいい面もあるとは思います。でもそれは自分や家族の意思で、納得して引っ越した場合に限るのではないかと思っています。
ほとんどの場合、転勤は、会社(のエライ人)に勝手に決められるものです。
ある日突然、あそこに行けと、駒を動かすかのように内示が出されます。
個人の希望を通してくれての異動もなくはないのでしょうけれど、たいていは、あきらめて従う、もしくは、この土地にいたいから退職を余儀なくされると聞きます。
夫の勤める会社では、異動を受け入れなければ格下げになり減給になると言われても、それでもここにいたいと申し出て、今まで部下だった方の下で働く方もいらっしゃるそうです。
自分の意思とは全く関係なく、待ったなしで、一切土地勘のないところにある日突然行かざるを得なくなるシステムというのはいかがなものかなと思わざるを得ません。
わたしのような小市民に、日本の会社のシステムを論じる資格があるとは思ってもいませんが、それにしても、ずいぶん無理をさせるシステムだなとは思っています。
技術者や現場で働く方々など、同じ分野のことを修練して知識や技術や能力を高めていくことで、生産性や技術力、人的ネットワークなどが構築されていく仕事が多いと思います。
管理職になってしばらくすると、そこから切り離され、根無し草の様に転々とさせられる人たちが出てきます。
不正防止、癒着防止、などなど、いろいろ理由はあるのでしょうけれど、不正をしない側の人間にとって転勤は、ため息しか出ないシステムです。
転勤が個人に与える影響の大きさ
2~3年であちこちを転々とする身になり、コロナ禍になって愕然としたのは、『かかりつけ医に相談してください』という文言。かかりつけどころか、引っ越してきてからまだ1度も内科系の病院にかかっていなかったときに聞かされる『かかりつけ医』の言葉のインパクトといったら。そうやって切り離されるのか…と思わずにはいられませんでした。
同じ土地にずーっと住んでいた時にはわたしにもかかりつけといえる病院、子どもの頃からずーーーっと診ていただいていた顔見知りの先生がいらっしゃいました。でも、転勤族になってからというもの、『かかりつけ医』と呼べるような先生に出会うのは、なかなかのハードルの高さだなと実感しています。そもそも体調を崩さないように、健康を維持できるように、予防を重視して生活しています。歯科や婦人科など定期的なメンテナンスが必要な病院は早急に探しますが、風邪をこじらせたり、発熱が続くなど、よほどの体調不良にならないとかからない内科系にはお世話になる機会があまりないのが実情です。
数年単位で住むところを移る、今までとは違う仕事に半強制的に移すという仕組みは、その人やその家族の生活、社会ネットワークを強制的に分断することとイコールだと思っています。強制リセットです。
もし内示が出たら、その日から、今までしていたあれこれを一切止めて、新しい土地に移るための準備に専念せざるを得ない。そこに選択肢はありません。
今まで『ここ』で培ってきた、ご近所さんや顔見知りの店員さん、美容師さん、病院の先生たちなど、そこで暮らしていくための人間関係や、どこに何があって、ここに行けば何ができるという土地勘など、その土地でコツコツと培ってきたものを置き去りにして、次の見知らぬ土地でまた一から始めなければならない徒労感といったら、筆舌に尽くしがたいものがあります。
もちろん、それですべてをなくすわけでも、その結果何も得られないわけでもありません。
それでも、転勤に伴うコストは、心身だけでなくお金の問題も含めて、継続的に大きな負担を強いられると思っています。
離れた土地に移ることで、その土地に戻って用事を足さなければならない状況も発生しがちです。その度に時間もお金もかかります。もし転勤がなければ、そもそも発生しなかった状況のために、個人が時間とお金を負担し続けなければなりません。
いろいろな土地に住むことができる、いろいろな経験ができる面も確かにありますが、転勤の時期がくる度に緊張感にさらされ、会社の決定に一喜一憂しています。
トータルコストとしては、デメリットの方がはるかに多いように思います。
定年後の住まいについて
一生住むつもりで、わたしたちなりにこだわって建てた家にも、多分もう住むことはないでしょう。今は、地元の方に借りていただいています。さびしい気持ちもありますが、住めなくなってしまった身としては、借りていただけるのはとても有り難いことです。
しかし、こうなるとわかっていたら建てなかったよね…という思いが消えることはありません。
入社以来20年以上転勤がなく、ずっとその土地に住む予定で家を建てて、その後、期せずして転勤族になってしまったことは、夫にとっても青天の霹靂でした。同じような経験をされた方々の中には、人生設計を根底から覆されてしまった…との思いを拭いきれない方も多いのではないでしょうか。
数年単位で各地を転々とする転勤族には、夫の定年退職後、どこに住むのか、どういった形態で住むのかという新たな問題がつきまとうことになります。
- 今のローンが終わらないうちに新しいローンを組むのは現実的ではない。
- 定年退職の時点で新たなローンを組むことはできない。
- かといって、その後ずっと賃貸でいけるのか? 中古物件を購入するか?
- それは、いつ、どの時点で? そのときわたしたちはどこにいる?
- 今のローン終了後、定年退職前の数年間のタイミングで新たなローンを組む?
- もしいい家が見つかったとして、すぐに住むことのできない家を購入する?
今すぐには答えの出せない、でも、必ずやってくる定年後の住まいの問題は、転勤族の悩みの種の中でも大きいもののひとつかなと思います。
- 自分たちが、いつどこに行くかわからない。予定が立たない。
- 釧路の家を借りてくださっている方も、いつまで借りてくださるかわからない。
- いつか空いたタイミングで家を売るとして、売れるのかもわからない。
不確定要素が多過ぎて、いつ決めるのが最適なのか、判断の難易度が高過ぎるのです。いつかは決めなければならない。でも、心を決めて建てた家を離れなければならなかった経験が、決め切ることを躊躇させます。次に決めた家は、多分一生の住まいになる、後悔しない選択をしたいという思いもあります。
こんな逡巡から抜け出すためには、人生設計のやり直しが必要ということでしょう。転勤のある会社にいるからだと言われればそれまでです。
それでも、そういうシステムの中に組み込まれてしまっている方が大勢いらっしゃるというのが現実です。同士のみなさんの努力とがんばりには本当に頭が下がります。
抜けるような青空の下でソフトクリーム(落花生)をいただいたのは、去年の今ごろの釧路異動を聞かされた日の午後でした。甘いモノでも補充しないと、ちょっとやってらんないわー!という心境でした(笑)。
1年前の春にも、引っ越しの心配をしているわたし…↓